日本劇団協議会機関誌『join』、コロナ禍特集号を読む

日本劇団協議会機関誌『join』97号

7月末発行の日本劇団協議会機関誌『join』97号を読みました。当然ながらコロナ禍に対する演劇界の対応一色で、芸術文化に対する支援の動き、制作者による「コロナ対策日記」、現場へのヒアリング、加盟団体へのアンケート結果、海外在住者による現地リポート(ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、ソウル、台湾)、海外支援策まとめなど、読み応えがありました。

編集後記が7月9日に書かれたとありますので、現状はさらに変わっていますが、今年上半期の動きが凝縮された内容でした。特に「コロナ対策日記」はパルコプロデュース『ピサロ』、劇団銅羅『蝙蝠傘と南瓜』の稽古始めから最終的に公演中止になるまでが綴られており、貴重な記録になっています。これに限らず、制作者の皆さんは所属に関係なく、ぜひ記録を残してほしいと感じました。

編集後記でも触れられていますが、どうしても配信になりがちな対策に対し、演劇人して「生の観客」にこだわる寄稿が複数寄せられているのが心強いです。

気になったのは、徳永京子氏(演劇ジャーナリスト)が周囲の20代の演劇人に訊いたところ、全額補助にならない公的支援に対して次のように答えているくだり。

「もし支援してもらえても、自分たちにそれをマネタイズできる(収益化を図る)自信がなく、手続きが複雑と聞いて腰が重くなっている。助成金の成功体験がないからかもしれませんが、だったら持続化給付金を手元に、多少の赤字が出ても自分たちで公演をしたいと言っています」。アートマネージメントの授業がある大学の出身者でもこの認識だそうだ。

徳永京子「東京の小劇場、あの時とこれから。」(日本劇団協議会機関誌『join』97号、p.17)

給付金の性格を持ちながら、プロフェッショナルへの補助金という制度設計にしたため、実施期間の短さも相まって、ここが大きな課題になっていると感じます。だから私は予算が余っても仕方がないし、むしろ予算が余ることで別の施策に組み替えてほしいという考えです。無理に予算を費消することが正しいとは思いません。