【連載】保存か解体か鳴門に残る増田建築▶3 市民会館 時代を映す意匠設計

鳴門市民会館と市役所本庁舎が造られた1960年代初頭は、日本が高度成長期の入り口に差し掛かり、鳴門市でも本四架橋の建設が具体性を帯びてきた時期と重なる。 62年には全国総合開発計画(全総)が閣議決定され、工場の地方分散を狙った新産業都市の地域指定が過熱する。鳴門市を含む徳島地区が指定されることが決まったのは63年7月。架橋と工場誘致への期待から、当時の鳴門は高揚感に包まれていた。 市民会館(61年)と市役所本庁舎(63年)はそんな時代に生まれた。これら市の中核施設の設計を続けて任された増田友也(191 ...